A LIFE IN JAZZ|一度きりの人生を豊かに過ごす秘訣

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〜ジャズ界の登竜門〜Jazz Messengersとは?

今回は、ジャズの一大グループであるJazz Messengersの特集です

 基本情報

ジャズメッセンジャーズは、

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1954年、ピアニストのホレスシルバー↑

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とドラマーのアートブレイキー↑結成されたグループであり。

初代リーダーはホレスシルバーでした。

 

初期メンバーは

Ds:アート・ブレイキー(ずっと変わらない

Pf:ホレス・シルバー音楽監督としてリーダーを務める、作曲の天才

Tp:ケニー・ドーハム(Blue Bossaの作者としても有名

Ts:ハンク・モブレー

 Bs:ダグ・ワトキンス

になります。

 

最初に録音されたのは

Horace Silver & Jazz Messengers というアルバムで録音は1954、55年に行われました

ジャケのリーダーのホレス・シルバーの謎ポーズ笑が印象的な本アルバムは

今では大手レーベルとして名高い、Blue Noteレコードから発表されました。

(ちなみに東京などのライブハウスとして知られるBlue Noteとは全く関係ないそうです笑)

 

当時はまだまだ弱小レーベルだったBlue Note

あるときBlue Noteが経営難に陥った際、ホレス・シルバーのアルバムの売り上げ

によって立て直したこともあったそうです。

ライオンはホレスの書くファンキーな曲に惚れ込んでいました。

ホレス・シルバーとBlue Noteのオーナー、アルフレッド・ライオンはかなり仲が良かったことも理解できます。

 

また、Funkという言葉を曲名につけた最初のミュージシャンはホレスだったと言われています。その曲は以下のアルバムHrace Silver Trio”の中の”Opus de Funk”で使われています。

現在の曲のジャンルとしての”ファンク”とはかなり曲調が異なりますね😅

どちらかというとファンキーという意味でのファンクだったと思われます。

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(左がアルフレッド・ライオン)  

最終的にホレス・シルバーは28年もの長い間ブルーノートからアルバムを出し続けるこ

とになりました。 

 

さて2枚目のアルバムは有名なラテン調の曲”Nica’s Dream”が初めて収録されたアルバムです。 

タイトルはThe Jazz Messengersで1956年にコロンビアというレーベルから

リリースされました。トランペットがドナルド・バードにメンバーチェンジしましたが

それ以外のメンバーは変わりません。

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解散の危機

さて、そんなこんなで人気を博してきたジャズメッセンジャーですが、色々あって 

1956年に解散してしまいます。(諸説あるため煙にまかせていただきます、、、)

しかしながら、ドラマーのアート・ブレイキーはこのバンドの名前を使って

亡くなるまで活動を続けていくことになります。

実質的には、当時のブレイキー以外のメンバーをホレスシルバーが

ジャズメッセンジャーズのネームバリューをアートブレイキー 

もっていくことになりました。

ホレス・シルバー が脱退した理由は一説によると、グループの一部で麻薬の常習

があったとされています。

そして、その後ジャズメッセンジャーは数年の間、不遇の時代を迎えます。

 

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運命の出会い

しかし、そんな中1958年に転機が訪れます、メッセンジャーズのメンバーの一人

ジャッキー・マクリーンが、麻薬がらみの件で逮捕され、キャバレーカード

(言うなれば、ジャズバーで演奏するための通行手形のようなもの)を没収されたので

す。

そこで、アート・ブレイキーが代役を探していたところ、

ベニー・ゴルゾンと出会ったのです。(写真)

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e3/Benny_Golson.jpg

彼の几帳面さが気に入ったアート・ブレイキー

作編曲家でもあったベニー・ゴルゾンにグループの立て直しを

依頼します。

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そしてベニー・ゴルゾンとアート・ブレイキー以外のメンバーを一新します。

ピアノには”Moanin'”を作曲したボビー・ティモンズを迎え

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ベースにジミー・メリット、トランペットにリー・モーガンを起用し

ました。

新メンバーでの初演はニューヨークのタウン・ホールで行われ、

大成功を収めます。

ティモンズが作曲したMoanin’

これからジャズメッセンジャーズの代表曲として

演奏されていくことになります。1960年代のジャズブームでは蕎麦屋の店員が口ずさんだという逸話が残るほど人気の曲だったようです。ジャズというとこの曲をイメージする人も多いことでしょう。

次世代のプレイヤーを生み出すジャズマンにとっての登竜門へ

次のメンバー入れ替えでベニー・ゴルゾンの代わりに

ウェイン・ショーターが入ることになります。

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彼は最終的にジャズメッセンジャーズの音楽監督にまで上り詰めます。

また、彼は時代の変化にも敏感で

新しいジャズのスタイル、モーダルジャズをいち早く取り入れました。

彼の曲のいくつかはジャズのスタンダード曲になっています。

さらにすごいのは彼は2019年現在、

世界で最も権威のある音楽賞の一つである

音楽グラミー賞を11回受賞しているとか

彼の作曲力と演奏技術の高さが伺えます。

まとめ

ジャズメッセンジャーズからはウェイン・ショーターだけでなく 

のちにメンバー入りするトランペッターのフレディ・ハバード

ピア二ストのチック・コリア、ベニー・グリーンなど多くの

偉大なジャズミュージシャンを輩出してきました。

アートブレイキーは新人発掘能力に長けていたのかもしれませんね。

 

そんな高いブランド力のあるジャズメッセンジャーに参加した経歴があると

その事実だけでかなり箔が付きいろんなところから声がかかりやすくなります。

そういった意味でジャズの登竜門と言えるのではないでしょうか?

 

最後までご覧いただきありがとうございました!

 少しでも、ジャズに興味を持っていただけたら幸いです!

それでは!