A LIFE IN JAZZ|第二章|一度きりの人生を豊かに過ごす秘訣

音楽の紹介やその雑学、読書、生活知としての哲学、など幅広く書いています。

ストレスの多い現代人への心の処方箋〜アラン”幸福論”その1

こんにちは

今回ご紹介する本はフランスの哲学者、教師でもあったアランの”幸福論”です。

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表紙はこんな感じ

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幸福論のフランス語的な解釈

ちなみに、フランス語では幸福論とは”propos sur le bonheur”と書きます、

直訳すると幸福に関するプロポという意味です。

少し蛇足ですが、大学で第二言語でフランス語を勉強していたときに

bonheur(幸福)はBon(良い)+Heure(時間)という組み合わせでできていのかなと

当時おもったりしてました。(定かではないですが)

 

幸福論は三つある?!

さて、実は”幸福論”と名前のつく名著は世界に3冊あります。

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スイスのカール・ヒルティ(1833-1909)

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フランスのアラン(本名エミール・オーギュスト・シャルティエ)(1868-1951)

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イギリスのバードランド・ラッセル(1872-1970)

の3人が書いたものです。

時代こそ違えど、みんななぜか50代で出版しています。不思議ですね笑

内容については各々の”時代背景””思想”によって変化するので注意が必要です。

鵜呑みにしすぎないことが大事ですね。 

 

なぜ最初にアランの本をオススメするのか?3人の経歴を考える

ヒルティは敬虔なキリスト教の信者であったことから宗教的な内容もあるようです。

そういった内容に抵抗がある人には少し不向きかもしれませんね。

また、ラッセルは哲学者としても有名ですが、天才的な論理・数学者としても知られています。

第二次世界大戦後は核廃絶への共通認識と親交が深かったアルベート・アインシュタイン

ラッセル=アインシュタイン宣言”を発表するなど、世論に大きな影響を与える人物でした。

幸福論の内容は、いくつかの章に区切られて論じられています。理系出身のためもあるのか、若干文に固い印象を受けます。

そのため気軽に読むのは難しいでしょう、解説本がいるタイプの古典ですね

(古典の中では解説がいる本の方がほとんどだが)

 

一方でアランの幸福論は他と一味違う形態をとっています。

 

アランの幸福論の特徴とオススメな理由

さあ皆さん、”幸福論”という大袈裟なネーミングからし

「なんかヤバそう」「難しそう」「読みきれん」と嫌悪感を感じると思いますが

アランの幸福論は一味違います!

 

アランの幸福論は、哲学断章(通称プロポ)と呼ばれる構成をとっています。

簡単に説明するなら

 

”日常生活で気になるテーマについて、見開き2ページほどで著者の考察が書かれている”

 

というものです。

いわば漫画のドラえもんのような、あれもどこから呼んでも問題ないですよね。あんな感じ

 

これ、実はアランの幸福論が、彼が新聞に掲載したコラムの寄せ集めから成るためなんです。

実際、フランスの北部のルーアンで出版された新聞の”日曜語録”に掲載されていました。

 

アランの幸福論は、例えるなら

”いつもポケットに入れておけるくらいの感覚で持ち運べるような本”

です。

彼はシステム化された哲学よりも、生活で役に立つ実践的な哲学を重視しました。

 

彼のエッセンスについて軽くご紹介

彼の本の中で頻出する考え方の一つとして

”感情は思考でコントロールするのではなく

体の態度や姿勢を正すことでコントロールしようぜ”

というものがあります。

それに伴い彼は、”礼儀作法”の重要性も問いています。

 

注意しなければならないのは、この礼儀作法とは

必要以上に腰を低くすることや、目上の人を大切にしましょうてきな美徳的な側面ではなく

その所作の運動と心のつながりに注目し、礼儀作法の重要性を訴えています。

つまり、”所作の乱暴さ”と、”心の苛立ち”はリンクしているということを言っているのです。

 

ちょっとむずいので読み飛ばしてOK

彼は別の著書、アラン定義集で面白いことを言っていました。

「粗暴について」

今でも殺人事件などで、何度も相手を刺して殺す痛ましい事件が起こることがあります。

では、犯人は本当に強い殺意を持っていたのか?

このようなケースにアランは、

「二十回のナイフは、一回の迅速で正確なナイフよりも殺意が少ないことをあかしている」

「犯罪の中には不器用なものがあることを知る必要がある」

と言っています。

 

また、彼は「粗暴さとは自分自身への働きであって他者への働きは付随的なものである」

そして、彼は歯ぎしりや自傷行為、喉をからすことなども自分に与える粗暴さの一側面とみなしています。

 

少し難しいですが、これらを踏まえアランは何が言いたいのか考えてみると

例えば、激昂とは、相手に対して本当に怒っているということよりも、自分自身にイライラしエスカレートさせている要素の方が大きいのだと。例えば、笑った状態で怒ることはできないように、怒っている時には体の緊張や粗暴な振る舞いを変えることが必要だということでしょうか。

こんなようなこともアランは幸福論で述べています。

部下を呼んで、叱るときにも上司が椅子に座って、部下に立たせながら説教するのでは、体の筋肉が緊張しているのでイライラさせやすくなる。椅子を出してやりなさい簡単なことだ。

 

ただし、礼儀作法を隣人愛や相手を敬うことの美徳として述べているのではなく、考察に基づいた理にかなった対処であるというところが面白く新しいですね。

 

「犬が暖炉のそばであくびをしている。これは猟師たちに気がかりのあることは明日にしなさいと言っているのだ。気取りもせずどんな礼儀もなしに伸びをするあの生命力は見ていても素晴らしいし、引き込まれ真似をしたくなる。周囲の人たちはみんな伸びをし、あくびをしたくなるはずだ。これが寝支度の開始となる。あくびは疲労のしるしではないのだ。あくびはむしろ、お腹に深々と空気を送り込むことによって、注意と論争に専念している精神に暇を出すことである。このような大変革(精神の働きをバッサリ切ること)によって、自然(肉体)は自分が生きていることだけで満足して、考えることには飽き飽きしていることを知らせているのである。

幸福論の”あくびの技術”の始まりの部分より、引用させていただきました。

 

最後に

いかがでしたでしょうか?アランの幸福論には生活の知恵となりうる言葉が溢れています。なるほど、こういう視点で物事をとらえてみるのもおもしろいなとか、色々発見があることでしょう。

最後に、アランの有名な名言でしめたいと思います。

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”楽しいから笑うのではない、笑うから楽しいのだ”

 

参考文献 アラン幸福論/神谷幹夫訳、アラン定義集/神谷幹夫

2021年、ブログのデザインを大幅にアップデート!

こんにちは

2021年の初めの大きなニュースは

緊急事態宣言の発令でスタートを切りそうですね^^;

これからも感染対策等しっかりしていきたいものです。

本ブログの歴史と最近の自分の状況

本ブログは実は2019年からスタートし、同年は少ししか記事をかけておりませんでした。

2020年はコロナの影響もあって就活、ライフスタイル、学業の方法などが大きく変容し

自分の場合は県外の大学から自宅に感染が拡大する前に帰省しうつ病で精神科に通院を始め、自宅で療養しておりました。

どこかに所属していない状況や、周りと異なる状態に強烈な焦りや不安を覚えました。

何かしなければと思い自分の好きなことなら続くと思いブログの更新を1年以上ぶりに開始

動機はあれですが、一時期は1ヶ月近く毎日更新できたのは良くも悪くも真面目な性格が幸いした?のでしょう笑

結局、精神的な負担、苦労、進路の自由度を天秤にかけた末、別の通信制大学に4年次編入することになりました。

それに至るまでには大変な苦労がありました。大体4ヶ月弱くらいかかりました。(最初中退を希望した際は教授らに説得され、休学を選択したため)

研究室の先生2人とのZOOM面談、4人の教授とのZOOMによる面談、学生委員の先生のサインや、退学理由書の提出、授業料を大学の窓口で払うなどなど(鬱病で療養していた自分にはだいぶキツかった)

退学願を一つ出すだけでも、いろんな人にお願いをしてようやく達成できるのだと身に沁みてわかりました。(自分の大学が特別大変なのかもしれませんが)

ただ、それはある意味で大学でお世話になった先生方の誰も蔑ろにせずにきちんと向き合って他大学に4年次編入するという選択ができたということで、それ自体はすごく良い経験であったと思います。

そのことを大学の同期のサークル仲間にカミングアウトしたところ、前向きに捉えてくれ、先輩方も応援してくれました。勇気を出して、話してよかったなと思いました。

本題

さて、本題ですがブログのデザインを一新させていただきました!

微調整など、まだまだあるかと思いますが、基本的にこのようなデザインでいきます。

よろしくお願いいたします。

2021年からは、ジャズだけでなく本の紹介や、哲学、日常の一コマ、お絵描きなども力を入れていきたいのでよろしくお願いいたします。

毎日投稿では読者の方が増えるなど、よかった面もありますが

各記事のクオリティの維持の難しさなど、色々と課題もありました、、、

なのでもう少しスパンを空けて継続的に良い記事を投稿できればと思います。(今のところ週一くらいで考えています。)

最後になりますが、本記事を見ていただきありがとうございます!

今年も良い一年になることを祈っております!よろしくお願いいたします 😌

第三回Ja雑学〜チャーリー・パーカーのあだ名”Bird”について〜

今回はチャーリーパーカーについてお話しししていきます。

彼はビバップ創始者として有名です。一体どんな人生を歩んだ人物だったのか?

https://obs.line-scdn.net/0h_NkSQNffAGFWKiqOdqZ_NiB3Bg4vSRppPFIXWyN8Ck8jRhdhPlAcWit1CwYrQgJuBBwXRHAoQhYmSCR_FEtJATR-Cy8ASUM-CBESYQ0sNyISekJTFDc4G3MuWlJ-GU4za0pPDyF5WFV9HwI2Yh5KA3Z4DQ/small

彼はスタンダード曲を数多く残していますが、変わった名前の曲がいくつかあります。

代表的なものは”Ornithology”(鳥類学)、”Yard Bird Suit”(ヤードバード組曲)など

So whatを歌ったことでも有名なEddie Jeffersonが”Yard Bird Suit”を歌った動画がありました。

彼に関しては以下の記事でも取り上げています、よければご覧ください。 

heiyou2122123255.hatenablog.com

 

さて、 上のふたつの曲ですが両方とも、”鳥”にちなんだ題名になっています。

これは彼は仲間内から”Bird”(バード)と呼ばれていたことが理由です。

Birdの由来は諸説あります。

彼のアドリブ演奏がものすごいスピードで鳥の鳴き声のようにきこえたから、チキンが好きだったから

などなど、どうなのでしょうかね笑

 

まあとにかく、彼の偉業に敬意を表して”Bird Land”というライブハウスができたくらいですから、彼の名前はBirdで通っていたのでしょう。

 

そんな彼ですが、普段聞いていたお気に入りの曲は、なんとクラシック音楽でした!

20世紀を代表するロシアの作曲家ストラヴィンスキーの”春の祭典

https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcRd9KrQmE5eDunoFBEvGN09ZHVEhg4c8LhfTg&usqp=CAU

また、彼の音楽に対する”姿勢”が窺えるこんな話があります。

 

ある日パーカーは友人と居酒屋に足を運びました。

当時パーカーの人気はすごいものでしたから、知っていた周りの人たちは群がり、店は大混乱

そんなとき、パーカーはジュークボックスで音楽をかけることにしました。

一流のジャズマンは、どんなジャズの曲を選ぶのか?とみんな固唾を飲んで見守りました。

彼が選んだ曲、それはカントリーというジャンルの曲でした。ジャズではない曲を選ぶとは思ってもいなかった聴衆たちは大変、驚いたといいます。

 

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このように彼はジャズに限らず、いろんな曲ジャンルの曲を吸収していました。

当時は最先端の音楽だったスウィングジャズから、新たな音楽”ビバップ”を生み出すには他の音楽からの影響も多かったのでしょう。

これは今を代表する一流の音楽家にも言えるのではないでしょうか?現代でクールな曲を打ち出して売れていく人物は、一つのジャンルに囚われずに色々な曲を聞いているのかなと個人的には思ったりします。

第一回 作業用BGM〜謹賀新年🎍何か新しいことを始める際のお供に〜

今回は作業用BGMをご紹介します。

何か集中している時に聞いてもらえたら嬉しいです。

Some Thing About Us(Daft Punk)

夜や朝などリラックスしたい時間帯にはゆったりとしたエモい音楽がおすすめです。

 Weight in Gold(Gallant)

おうち時間が増えた今、ヨガや柔軟、ストレッチなどの必要性が高まっています。そんな時には音楽を聴きながら習慣化するのもいいでしょう。

Love Yourself(Justin Bieber)

この曲は2015年に発表された曲ですが、題名のLove Yourself(あなた自身を愛せ)、その当時高校生だった自分には何のことかさっぱりわかりませんでした。今になって理解できる気がします。PVでカップルが日常の生活の中で繰り出すダンスも魅力的。

Five More Hours(Chris Browm)

最近はあまりやっていませんが、体幹レーニングのプランクをダンスのために毎日やっていた時期がありました。その時によく聞いていた曲です。

 プランク

筋トレ中に音楽を聴くと不思議と頑張れるんですよね笑Hiphop系の曲がおすすめです。

よければ試してみてください。

第七回 ジャズの名曲〜人の名前にちなんだ名曲3選〜

あけましておめでとうございます、皆様にとって良い一年になることをお祈りしております。

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さて、今回は人の名前が使われている曲の紹介です。

Bud PowellChick Corea

同曲はチック・コリアがジャズピアニストとして名高いバド・パウエルのプレイの研究としてリリースしたアルバム”Remembering Bud Powell”に収録されております。アルバムにはバドの作曲した曲と、チックコリアの作曲した曲としてズバリ”Bud Powell”があり、チックコリアはバドパウエルに対しての最大の敬意を表すために彼の名前を使った曲で彼のスタイルのエッセンスを捉えた曲を作曲したようです。

Pannnonica(Thelounius Monk)

 

パノニカ夫人という方をご存知でしょうか?彼女はロスチャイルド家の令嬢の一人で彼の兄がジャズのレコードの収集家で、その影響で彼女もまたジャズが大好きになりました。ジャズがまだ音楽の市民権を得ていない時代、 彼女はジャズマンたちに演奏の場や宿泊の場所を提供するなどジャズマン達のパトロンとして奔走したそうです。白人の女性が黒人の音楽を支援するという構図において、いくら高貴な身分の方とはいえ大変な苦労があったことに疑いの余地はないでしょう。当時そういった彼女の活躍に感銘を受けたジャズミュージシャンらは彼女の名前を使った曲を作りました。(ホレスシルヴァーのNica’s Dreamなどが特に有名) この曲はその中の有名な曲の一つです。

Isn't She Lovely(Stevie Wonder

ティービーワンダーといえば、音楽に詳しくなくとも一度は耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか?同曲は彼の娘であったアイシャの誕生を祝った曲として、邦題は”可愛いアイシャ”として知られています。

ジャズ読書記録1−1「すごいジャズには理由がある」

 Youtubeで今まで何度か関連動画にあったけど、あまり他の人のジャズの理論動画を見たくない意地(元々ひとに教わるより本で学ぶ方が好きで性に合っている)で結局見ていなかったのですが、一昨日の夜少し勇気を出して見てみた。

第一回はアートテイタムについて演奏スタイルについて、理論的に解説するというものだった。少し古い動画で、ホームビデオ的なとこともあって(このレベルの内容を無料で見れるのは本当にありがたい、本を買った人のみの限定公開でも価値があるくらい)ちょっと複雑な説明のところはもう一度見返さないとわからないのもあったが、おおよそ今の自分の知識(ジャズ歴4年)で十分理解できる内容で、意外にも面白かったのだ。

そして、概要欄を見ると、この動画にそった解説本があるではないか!早速夜中にポチって同日の夜に配送された通知が来て、今日の朝届いた。

早速、1ページ目にあったのはビルエヴァンスの名言として「ジャズとは1分の曲を1分で作曲することである。」とあって、え?これ前ブログで書いたやつやん!!と運命を感じました笑

 前といっても18日くらい前の記事のこちらです。

heiyou2122123255.hatenablog.com

そんな感じで、読み進めているところです。この本が出版された経緯はまず

クラシックを学んでいた音楽教育論の日本人の教授、岡田暁生さんという方が、アメリカ人のジャズピアニストフィリップ・ストレンジの演奏を聴いて感銘を受け、弟子入りを申し込みました。そして教わる中でフィーリングよりも、理論を重視した教え方や、ジャズピアニストの特徴を理論的にわかりやすく分析するなど、岡田暁生さんがいうには”脱物語化”、である。

確かに、ジャズについて勉強しようとする時に何かとストーリーや人間関係、秘話や逸話が引き合いに出されることは多いと感じるしそれらを理解するにはおそらく自分ほどジャズに熱意があってほぼ毎日ジャズを聴きあさっている人間でも3年くらいはかかると思う、これはジャズ初学者にとってはほとんど苦痛でしかない、しかしジャズについての伝記などのなかでは理論の内容は1%にも満たないことがほとんどだ。逆に理論書はコラムなどで歴史上のジャズマンの功績をを多少解説する程度の本がほとんど(もしくはゼロ)であり、理論10割になっている。一部マークレヴィンさんの本などはプレイヤーのスタイルと結びつけて解説しているが、こういった切り口はかなりレアだと思うし、実際、評価も高い(ケニーバロンが推してた、ただし内容はかなり濃いし練習方法はほとんど示されていないので習ったことは全てのキーで実践するように読み進めるとかなり時間がかかる、まあ練習方法を自分で考えるのもおもしろいのだが笑)。僕がマークレヴィンさんが好きな理由はその音楽に対する姿勢である。たとえば、音楽の理論は時代とともに許容範囲が増えてきているのであるから、今の理論ではこれがよくない音(アヴォイドノート)であるとは言っても数年後にはそれも良しとされる可能性がある、だから不協和音だからといって心を閉ざすのではなく開いておくことが大事だと、また、この和音の響きを聴いてどう感じますか?と一方的に理論を押し付けるのではなく自分でその響きを感じ、どう思うか?というところを重視してくれている点である。そして一つの理論書でジャズ理論をすべて理解できる本など存在しないとか、ミュージシャンから教えてもらう際には話半分で聞くことなど、”断定”に対して最新の注意をはらっているのだ。僕はこの考え方がスピノザ的で気に入っている。”本質はそれ自身のみにしか内在しない”云々

直感ではあるが、おそらくこの本もそういった方針に近いのかなと思う。

ジャズピアニストのステレンジさんは大学院で音楽理論についての博士号を取得している人物であることからもかなりしっかりとしたエビデンスに基づいた、かつ最先端の音楽理論の解釈の感覚をもっているのではと思う。(世間的に有名な先端技術というのは研究者の視点から見ると、もうホットな研究ではなく出尽くした理論であることが多いというのを大学で学んだ)

 本書では、何人かジャズの巨人をフィーチャーし、その人のテクニックを具体的な例を挙げて説明している。最初のジャズマンは実は意外にも、ソロピアノの最高峰テクニックを誇る盲目のピアニスト、アートテイタムである。モダンジャズ以降のジャズを研究するのにビバップの時期より以前のプレイヤーを最初にもってきたのか?その理由はアートテイタムとチャーリーパーカーの繋がりにあった。実は日本語Wikiのアートテイタムについてのところにその答えが書いてあるのでよければご覧ください。

是非、動画と併用して本を読むのがおすすめだ。

 

ただし、どちらかというと理論をかじった人向けであるので注意が必要だ。ただ買っておいて損はない一冊だと思う、ジャズの教養がそこそこある人なら理論は読み飛ばしても色々と勉強になると思う。基本的に岡田さんと、ストレンジさんの対話形式に話は進んでいく。また内容は大学の講義くらいの深さがあるように感じる。新書よりも専門書のくらいのボリューム感、そのため値段も1800円とすこし値は張るが、2014年と比較的最近の本でこのクオリティは珍しいし、者が本を出版したかったその情熱も感じる。

これからも読み進め感想や、ネタバレのない程度に同本の魅力を伝えていければと思っています。

さて、このブログが今年2020年最後のブログとなりました。

今月は毎日投稿を目標にやってきたが、意外と続くものだと自分でも驚いております。

これからも、ジャズやその他音楽を多くの人に楽しんでもらえるよう、頑張っていきたいです。来年も何卒よろしくお願いいたします。

皆様、よい新年をお過ごしください!

それでは!

僕的2020年に感じたジャズってるかもしれない哲学〜頑張りすぎないのススメ〜

今年一年を振り返ってみると、コロナで人とのテレワークなどコミュニケーションが大きく変わったのもあるが、環境の変化が大きかった。というのも、僕は2017年から3年弱の間、県外の大学で電気電子を学んでおり、現在は実家で生活しているからなのだが。

大学にいた頃の自分を今、冷静になって振り返ってみるとかなり必死で授業や課題、研究室、ジャズ、哲学、そして料理、をひたすらぐるぐる回っていた。人間だれでも自分の今の立ち位置に何か、生きがいや、やりがいを求めるもので、真面目に生きようとしている人ほど、その傾向が特に強い。僕自身、苦手なことに突っ走ることで自分を追い込むことで良い何かが得られると思っていたし、自信をつけるにはそれしかないと、それを生きがいと捉えていた節があった。もちろん適度に、苦手を克服できるように努力するのは大事だけど、それはそれとして、僕個人の偏った考えとしては、それができないと社会でやっていけないとか、馬鹿にされるとか苦手なことができるようにならないとダメだと、ある種の脅迫観念を自分で持っていたのだと思います。まあ、社会のレールにそっていないと死みたいなものですね。ただ、何か自分の理想の成果をあげることって結構難しいし、やはり育った教育環境とか、遺伝、時代にも左右されるってことも実家に来てから認識しできるようになった。

大企業に入れる人も結局のところ、本当に会社で活躍できる人材とか実戦でやっていける人材っていうよりは、もし自分が選んだ人があまり活躍できなかった時に、何で選んだかっていうのを客観的な指標として学歴を用いた方が周りを納得させられるし自分を守れるという側面もあるともう。人間それぞれ苦手や得意がある、それも中々把握できない時期に大学を選択したり就職するのって難しいんじゃないかなって最近になって思う。保育士の勉強を始めてその中で、思春期で自己のアイデンティティが確立する時期が〜22歳くらいまでだったってのを知ったのだが、なるほどなと思った。なぜならその年齢までに就職活動の多くって大体終わってるし、そんな心も不安定な状態で人生の大きな進路決めるんだから数年で退職したりする人も多いよって、なんか納得できる。多くの友達は”社会の波”をある程度仕方ないと思っているのかもしれない。就活の時に、別に自分が好きでもないけど、なんとなく福利厚生とかいいしって、割り切ってそれっぽい志望動機も書いてっていうのができる人はすごいと思う。自分の苦手なことを伸ばすのも大事だけれど、それ以上に自分が潰れないように力を抜くという努力や、自分の得意なこと、そうでなくとも関心のあることや、今の自分にか十分”実現可能な範囲”で自分のやってみたいと思うことに挑戦するのは長い目でみていいのかなって思ったりする。自分にできる範囲、がんばらない範囲、っていうのが重要な気がする。

あと、自分の自信を得るために、何かを成し遂げたり、権威を獲得するというのも結局、一時的なものだ、と思う。上には上がいると考えたら、持続可能な自分の自信にはならない。むしろ、自分に合った頻度での人間関係を大切にすることの方が、コスト的に楽な場合がほとんどで、相手との相性によって無理な努力がいらなかったりする。これからのコロナの時代、何が起きるかわからない現代は、それによる自信って馬鹿にできないと思う。お金でモノは買えるけど、人との本当の信頼、仲間との思い出は買えない、お金や権力をもし失ったとき、自分の周りに自分を信じてくれる人はいるだろうか?極端な話、たくさんの友人との信頼関係があれば、お金はそこまで必要ないのではないかとも思うんだ。もし、家やお金、権威を失ってもきっと頭を下げて頼み込むことができるから。学校でいい成績をとっても、学校以外でその評価は保証されるわけではない。だけど先生はいい成績をとる、ということのみに注目して生徒を叱る。結局学校でどれだけ成績が良くたってそのひとの確固たる自信にはならない。ただ、仲間を作るには学校というコミュニティーでは小さすぎるし閉鎖的だとおもう。だから、そういう人たちは自分を守るためにも自分の力以上に努力をするんだろう。そして真面目という価値観も相まって、頑張りすぎるということを唯一の自分のアイデンティティにしてしまう。それはもったいないなと思うし、持続可能ではない。

自分の体を思いやるというのは、今の若い人は特に意識的にやれているだろうか?新卒という枠組みから外れることが悪だという一般論だが、コロナにおいて、もっと柔軟に人材を選ぶ必要があると思う。自分の体を思いやるというのは、自分がしんどい時に逃げるということも含まれのではないだろうか、そういう意味で自分を大切にするというのは、意外とできないものだ。特に学校という括りの中、上下関係がある状態では特にそうだろう、逃げることや諦めることは悪だという感覚だから。どう思われるかとか、そう言った視点でしか自分を評価できない空間に長時間いるとどんどん自分が窮屈になっていく、周りに合わせないといけない、合わせられない自分は弱いのだとか、私の進路は周りが納得いく進路であるべきだ、とか

大学に入ってから知ったことなのだが、人間は物事をまず直感的に大まかに判断するということだ。そして後付けとして理屈で説明し合っていることを説得するという流れになる。実は、僕自信、大学に入る前は数学という学問は何か理性的な、理論的な思考のみで行われるものだと思っており直感など入る余地がないのだと信じていた、ところが理論的なものであっても直感的に理解することが実はかなり大事であった。例えば複雑な数式を見通し良くすること(直感的に理解しやすいようにすること)が大事だったりするグラフなんかもそうだ。もしかすると理論的に(打算的に)最初から考えてやことっていうのは大体、心から根ざしてやりたいことではなく体裁や取り繕ってる場合が多いのではないか?と個人的には思う。そもそも自分の進路を相手に100%説得するとこは無理だし、理解されるかわからない相手に説明する必要があるのか?という疑問も湧いてくる。また、人である以上、この人には理解されても、この人には理解されないという場面はでてくるものだ。そういう時、理解されない人のために身を削る必要はあるのだろうか?それよりも、自分のことを認めてくれる一人の人間に出会うことの方がこれからの可能性も広がるし、自信にもつながるのではないかと思う。ここに、教育の罠がある、教育というものが画一化され教師と生徒が対等の関係ではなく、生徒が無意識的にも抑圧された状態になってしまっていることだ。そして、本当に生徒の心の声を聞いたふりをして聞く。生徒それぞれの価値観をあるがままに見る先生をみたことは未だ一度もない気がする。生徒に質問はないかと投げかける先生も、形式的にやっていることに気がついていない、自分はきちんと生徒を考慮していると自負している。教育の本来のあるべき姿は、自発的に先生に質問がしやすい状態に教師がもっていくことができるということである、強制的に生徒を当てて答えさせるというのは、経験からすれば成功すれば自信に、失敗すれば自信を失うことになる。また、その自信を維持することはできないと感じる。また、日本の文化の良い側面だけでなく、おそらく遺伝子レベルで村社会的な、何か一人が目立って発言することを嫌う性質があることも伝えた方がいいのではないかと思う。日本人の性質を歴史的な背景もふまえて学校教育で伝えたらいいのではと思ったりする。僕はグローバルという言葉にも違和感を感じる、まず日本人としてのどういう思考をしやすいのか価値観の現在地を知る必要があると思う。その上で海外はどのように考える人が多いのか考えていく。だから西欧、欧米の表面的な価値観をただ盲目的に崇拝するのはいかがなものかと思うのだ。