今回はジャズマン、エロル・ガーナーについてざっくりお話していきます。
彼についての知っておきたい基本情報は以下の3つです。
・彼独自の音感とハーモニー
・左利きとビハインドザビート
・美しいナンバー”Misty”とその秘密
彼独自の音感とハーモニー
ガーナーは1921年アメリカ合衆国のペンシルバニア州のピッツバーグに6人兄弟の末っ子の双子として生まれます。彼の家は多くのジャズマンがそうであったように、音楽環境にめぐまれていました。6歳の頃にはホームコンサートを開いていたそうです。
また、彼の母親は腕の立つコントラルトの歌い手であり、ガーナーの父親と教会の聖歌隊で歌っていました。
彼は生涯にわたって正式な音楽のレッスンはしてこなかったことで知られていますが、3歳までにはピアノを演奏するようになっていました。
そんな彼にはこんなエピソードがあります。
ガーナーが6歳の時、ミス・マッジ・ボウマンという女性が音楽を教えにガーナーの家にやってきました。
それから間もなくガーナーは、音符を読むことを学ぶことを拒否し、与えられた課題をすべて耳で覚えてこなすようになます。それに気がついた教師のボウマンは教えるのを諦めてしまいました。
このように幼い頃からガーナーは音楽の記憶力が非常に高く、楽譜に頼らずにピアノを演奏することができました。そのため、彼は生涯にわたって楽譜が読めなかったと言われています。
彼はこのようにして既存の理論にとらわれない、独自のサウンドを習得していきます。
左利きとビハインドザビート
彼のもう一つの特徴に左利きであるということがあります。
一般には右利きの人が多いので、ピアノの構造自体
難しいメロディを弾くのは右側の高音で
左は簡単な伴奏を弾く低音となっています。
しかし、ガーナーは左利きでかつ正規の教育をうけていません。
そのため、左の伴奏がよりパーカッシブで激しい伴奏をしたいと思ったときに何の抵抗もなく習得することができました。そして、一方で右手は利き手ではないのでメロディーが少し遅れてしまうのです。
偶然ではありますが、この彼の身体的な特徴によって"ビハインドザビート”と呼ばれる独自の演奏スタイルがうまれました。
この名前の由来は演奏者が後ろから紐で引かれるようにリズムをとっているように感じたためと言われています。
美しいナンバーとして知られる”Misty”とその秘密
彼の作曲した大変美しい曲がMistyです。
以下この曲の制作秘話になります。
ある日、1954年ニューヨークからシカゴまで移動のためガーナーは飛行機に乗っていました。
飛行機は霧中(虹という説もあり)を飛んでおり、ガーナーはそれを見てか、ふと美しいメロディが浮かびました。
しかし、先ほどもお話ししたように、彼は楽譜の読み書きができなかったので空港に到着するまで頭で反芻し記憶しようとしました。
空港からはホテルまでタクシーで急行し、ホテルのピアノで実際に演奏したものをテープレコーダーでその場で録音し何とかメロディを失わずに済んだということです。
この逸話と曲をきいた友人が、”霧のようにもやのかかった曲だ”と言ったそうです。
そこでガーナーは題名をMistyと名づけることにしました。
最後に
彼は、初期の頃ビバップの影響をほとんど受けませんでした。
むしろブギウギやラグタイム、ビッグバンドのピアノ演奏をお手本に練習しています。
そのため、時々こちらに向ける笑顔はまさにピアニスト、デューク・エリントンやルイ・アームストロングなどビバップ以前のジャズマン達の人々をハッピーにさせる演奏に通じるものがあると感じます。
おそらく彼が活躍した時代においては、最後のエンターテイナー的な側面を持つジャズマンだったことでしょう。
彼と同様にほど独学で習得してきたピアニストであるが、相反するサウンドと価値観を持つ者として僕はセロニアス・モンクを挙げたいと思います。まさに光と闇のようなそんなイメージ。彼についてはこちらのブログでも取り扱っているので是非ご覧ください
heiyou2122123255.hatenablog.com
モンク自身も感性は重視していましたが、どちらかといえば曲を理論的に組み立てることの方が得意なタイプです。
彼の作曲したRound Midnight などの曲は、スタンダード曲の中でもかなり凝った部類の曲です。さらに曲調もどちらかといえば暗かったり哀愁の漂うメロディや伴奏が多い。
一方でガーナーも聞いたら彼の演奏だとわかるくらい特徴があって、キラキラした明るい音使いです。彼が作った数少ない曲の中でMistyは彼のらしさが特に出ている曲と言えるでしょう。