A LIFE IN JAZZ|第二章|一度きりの人生を豊かに過ごす秘訣

音楽の紹介やその雑学、読書、生活知としての哲学、など幅広く書いています。

ジャズの名言〜鬼才セロニアスモンク〜

今回はジャズの歴史において最も興味深い不思議な人物、セロニアスモンクの名言です。

はじめに簡単に彼の紹介をします。

 彼の経歴

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モンクは1917年10月10日にノースカロライナ州のロッキーマウントで生まれました。

彼は6歳からピアノを演奏し始めましたが、彼のスタイル自体は独学で習得したものだったようで初期のスタイルはアートテイタムに近いものがあったようです。

チャーリーパーカー、ディジーガレスピーらと同様に、ビバップの開発に大きく貢献した人物として知られています。モンクは当時、彼唯一と言っても過言でないほどの独自の理論からピアノスタイルを確立していました。また、その作曲力の高さも高く評価され多くのスタンダード曲を残しました。”Round Midnight”や”Ruby My Dear"などが有名

 

モンクの7歳年下で互いに尊敬し合う仲だった弟分のとして知られているバド・パウエルの”Round Midnight”

彼についてはこちらの記事でも紹介しているのでぜひご覧ください

heiyou2122123255.hatenablog.com

美しいバラードのRuby My Dear、モンク本人の演奏です。

ところで、ジャズ界の巨人として知られる、ジョン・コルトレーン

彼は一度、マイルスからバンドを追い出され(実質解雇)職を失ったことがあり

その窮地に、手を差し伸べたのがセロニアスモンクでした。

しかも、モンクはコルトレーンにレコーディングやマンハッタンでの長期ライブなどの演奏の場だけで無くサックスの特殊な奏法や音楽理論を与えました。

なぜモンクはそこまでコルトレーンの面倒を見たのでしょうか?

モンク自身、師としての才能があったことは間違いないでしょう

当時のアメリカの黒人の方にとって同郷のつながりは重要でした。

その上、不安定な生活と隣り合わせのミュージシャンは出身地の同じ仲間の繋がりに重きをおいていました。その理由は出身地がどこであるかが彼らの音楽的アイデンティティとも関係したいたからだと言うことです。実はコルトレーンとモンクは同じノースカロライナ州出身なんです。

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Thelonious Monk(1917-1982)

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”I say, play your own way. Don't play what the public want - you play what you want and let the public pick up on what you doing - even if it does take them fifteen, twenty years.”

"私は、あなた自身のやり方で演奏しろ、と言う。大衆の望んでいることを演奏するな、自分のしたい演奏をして、一般の人々に理解させようじゃないか、たとえ15、20年かかるとしても"

 

参考文献:コルトレーン/ジャズの殉教者/藤岡靖洋

https://translate.google.com/translate?sl=en&tl=ja&u=https://www.azquotes.com/author/1017-Count_Basie