緊張と解放

音楽とは緊張と解放の組み合わせでできている。ジャズをやるとそれがよくわかる。それは音楽だけではない、人間関係においてもそうだろう。人と会って楽しかった、刺激的だった、などなどあるだろう。これは人と会うこと自体に一種の緊張があり、それが終わった後は余韻として解放が、あるのだろう。しかしながら人間関係においてはその難しさがよく挙げられることと思う。例えば厳しい上司、嫌な先輩、苦手な後輩、などなど

有名な精神科医アドラーは悩みのほとんどは人間関係に関する悩みだと、話したくらいだ。

ではなぜ、我々は緊張を求めるけれども人間関係ではそれが、ライブや映画などの心地よい緊張にはならないのか。私は一つ挙げるとするならば、ライブや映画などはあくまで作られたものであるという点だ。つまり、観客が好ましいとされる反応やドラマを前提としてコンテンツが作られている。また、今抱えている問題全てを、RPGのゲームだと(メタ的な視点で)考えたら、楽になるよ。と話す人もあった。これらから思うに、我々は自分の身の回りに起きることをなぜか自分の深い価値やアイデンティティ、選択と強く結びつける傾向があり、それによって一喜一憂するのだろう。ある種のリアリティに飲まれてしまうということだろう。そんなこといったってゲームのように捉えてしまい、リセットしてやり直せるわけじゃないし、それはその通りだ。しかし、心地よい緊張を知る上で今の例えは参考になると私は思うのだ。