結論から言うと音楽に対する”絶対的な”評価というものは無いと私は考えます。
例えば、大手音楽雑誌の評価も、あくまでその組織のある一人の人間の意見ということです。
もちろん、世間で有名な曲はそれだけで他の人との話の話題として共有しやすいです。
しかし、それはそれとして
世間で一流だと言われているアーティストの曲しか耳に入れないというのはどうなのでしょう。一流好みなのは必ずしも悪いことではありませんが、個人的な意見としては各々が持っている”感覚”をもっと重視しても良いのではないかと思います。
もしこの記事をみている方の中で、何か横並び主義的な音楽の好みを窮屈に感じている方の助けになれば幸いです。
歴史から振り返る
さて実際、歴史的に見ても、音楽の評価というものはいい加減で、主要な評論家が低い評価をつけられたものが後に殿堂入りするといったことがあるのです。チックコリアの「Now He Sings Now He Sobs」などがそうだということです。(参考:マークレヴィン jazz piano book)
ジャズピアニストのセロニアス・モンクは独自の奇抜な演奏スタイルを貫き、ついに世間の評価を勝ち取りました。彼の強い信念が気になる方はこちらを参照ください。
heiyou2122123255.hatenablog.com
また、他の例で言うと、画家でフィンセント・ファン・ゴッホ、通称ゴッホ
彼の有名な話として、彼が生きているうちに彼の絵はなかなか売れなかった。そして彼の死後、彼の絵が高く評価されるようになったということです。
ここで、僕が注目したいのはマイノリティの存在です。おそらく一部の人はゴッホが生きていた時から彼の絵を評価していたでしょう。しかしそれが世間に広く広まるには時間がかかったということです。当時もおそらく話題性のある人物の描いた絵は大衆に高く評価されていいたことでしょう。
このように芸術というのは、初めは評価されないものです。しかしここで、個人が大衆の意見に流されてしまうとその作品やアーティストが過少評価されてしまい活動ができなくなってしまうなどの問題が生じる可能性があります。
日々新しい情報が押し寄せる時代だからこそ、じっくり味わうことが重要
周囲と同じ音楽を聴くことを重視しすぎて、自分自身が本来どのような音楽が好きであるか、分からなくなってしますのは、少し寂しいですね。今の時代、自分がマイノリティであってもそのようなジャンルが好きな人とSNSで繋がることが容易です。少数派のコミュニティと繋がれるのが現代の強みでしょう。
さて、ツイッターなどもそうですが、いいね数が多いからと言って信頼できる情報とは限りません。その界隈の人が集中している可能性があるからです。(Badの評価もつくという意味でYoutubeはまだ情報の判断材料が多い)Google検索でも上位にくるからと言って、その情報は必ずしも正しくないのです。(多くの場合むしろ”不正確”なものが多いです。引用元が掲載されていない、曖昧なものなど)
音楽もSNSもテレビも、人に何か印象を与える”メディア”という意味で一緒だと考えることができます。
音楽にしろSNSにしろ、それ自体を一度立ち止まって”個人的に自分はどう感じるか”ということを一度立ち止まって考えてみる。ニュースであればこれはどこから来た情報なのか?など、そうしないと、何か大きなもの、大多数の意見に流されるだけの人になってしまうと私は考えます。
自分の好きな音楽の探し方
音楽に限らずですが、自分が何が好きなのか、自分のことを理解するというのは、意外と難しいものです。本当の意味で心から好きな曲など、ないという方もいるかと思います。
いまだかつてないほど、多くのメディアの影響を受ける現代人にとっては、これはあるあるかもしれません笑。とりあえず話題についていくために流行りの曲は聴いているけど、音楽自体にそこまで好きにならない。そう言った方もしかすると音楽を聴いている絶対量が少ないのかもしれません。または音楽通の人と比べてそこまで熱狂的でないからと、自分は音楽が好きではないと思い込んでいるのではないでしょうか?
僕のオススメはジャンルに問わず聞くことです。例えば、ジャズに限らず、Jpop、ロックや、ワールドミュージック、歌謡曲、果てには童謡など、こう言った幅広い音楽ジャンルの中で、なんか良いなと感じる曲があると思います(ここで重要なのはあまり先入観を持たないように気をつけることです。評価などはあえて調べない等)。
そして共通点を探すことです。また、身近で聞く音楽、テレビの合間に聞こえる音楽や、お店で聞こえる音楽など、そういうものに耳を傾けてみるのもありかもしれません。