A LIFE IN JAZZ|一度きりの人生を豊かに過ごす秘訣

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ストレスの多い現代人への心の処方箋〜アラン”幸福論”その1

こんにちは

今回ご紹介する本はフランスの哲学者、教師でもあったアランの”幸福論”です。

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表紙はこんな感じ

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幸福論のフランス語的な解釈

ちなみに、フランス語では幸福論とは”propos sur le bonheur”と書きます、

直訳すると幸福に関するプロポという意味です。

少し蛇足ですが、大学で第二言語でフランス語を勉強していたときに

bonheur(幸福)はBon(良い)+Heure(時間)という組み合わせでできていのかなと

当時おもったりしてました。(定かではないですが)

 

幸福論は三つある?!

さて、実は”幸福論”と名前のつく名著は世界に3冊あります。

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スイスのカール・ヒルティ(1833-1909)

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フランスのアラン(本名エミール・オーギュスト・シャルティエ)(1868-1951)

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イギリスのバードランド・ラッセル(1872-1970)

の3人が書いたものです。

時代こそ違えど、みんななぜか50代で出版しています。不思議ですね笑

内容については各々の”時代背景””思想”によって変化するので注意が必要です。

鵜呑みにしすぎないことが大事ですね。 

 

なぜ最初にアランの本をオススメするのか?3人の経歴を考える

ヒルティは敬虔なキリスト教の信者であったことから宗教的な内容もあるようです。

そういった内容に抵抗がある人には少し不向きかもしれませんね。

また、ラッセルは哲学者としても有名ですが、天才的な論理・数学者としても知られています。

第二次世界大戦後は核廃絶への共通認識と親交が深かったアルベート・アインシュタイン

ラッセル=アインシュタイン宣言”を発表するなど、世論に大きな影響を与える人物でした。

幸福論の内容は、いくつかの章に区切られて論じられています。理系出身のためもあるのか、若干文に固い印象を受けます。

そのため気軽に読むのは難しいでしょう、解説本がいるタイプの古典ですね

(古典の中では解説がいる本の方がほとんどだが)

 

一方でアランの幸福論は他と一味違う形態をとっています。

 

アランの幸福論の特徴とオススメな理由

さあ皆さん、”幸福論”という大袈裟なネーミングからし

「なんかヤバそう」「難しそう」「読みきれん」と嫌悪感を感じると思いますが

アランの幸福論は一味違います!

 

アランの幸福論は、哲学断章(通称プロポ)と呼ばれる構成をとっています。

簡単に説明するなら

 

”日常生活で気になるテーマについて、見開き2ページほどで著者の考察が書かれている”

 

というものです。

いわば漫画のドラえもんのような、あれもどこから呼んでも問題ないですよね。あんな感じ

 

これ、実はアランの幸福論が、彼が新聞に掲載したコラムの寄せ集めから成るためなんです。

実際、フランスの北部のルーアンで出版された新聞の”日曜語録”に掲載されていました。

 

アランの幸福論は、例えるなら

”いつもポケットに入れておけるくらいの感覚で持ち運べるような本”

です。

彼はシステム化された哲学よりも、生活で役に立つ実践的な哲学を重視しました。

 

彼のエッセンスについて軽くご紹介

彼の本の中で頻出する考え方の一つとして

”感情は思考でコントロールするのではなく

体の態度や姿勢を正すことでコントロールしようぜ”

というものがあります。

それに伴い彼は、”礼儀作法”の重要性も問いています。

 

注意しなければならないのは、この礼儀作法とは

必要以上に腰を低くすることや、目上の人を大切にしましょうてきな美徳的な側面ではなく

その所作の運動と心のつながりに注目し、礼儀作法の重要性を訴えています。

つまり、”所作の乱暴さ”と、”心の苛立ち”はリンクしているということを言っているのです。

 

ちょっとむずいので読み飛ばしてOK

彼は別の著書、アラン定義集で面白いことを言っていました。

「粗暴について」

今でも殺人事件などで、何度も相手を刺して殺す痛ましい事件が起こることがあります。

では、犯人は本当に強い殺意を持っていたのか?

このようなケースにアランは、

「二十回のナイフは、一回の迅速で正確なナイフよりも殺意が少ないことをあかしている」

「犯罪の中には不器用なものがあることを知る必要がある」

と言っています。

 

また、彼は「粗暴さとは自分自身への働きであって他者への働きは付随的なものである」

そして、彼は歯ぎしりや自傷行為、喉をからすことなども自分に与える粗暴さの一側面とみなしています。

 

少し難しいですが、これらを踏まえアランは何が言いたいのか考えてみると

例えば、激昂とは、相手に対して本当に怒っているということよりも、自分自身にイライラしエスカレートさせている要素の方が大きいのだと。例えば、笑った状態で怒ることはできないように、怒っている時には体の緊張や粗暴な振る舞いを変えることが必要だということでしょうか。

こんなようなこともアランは幸福論で述べています。

部下を呼んで、叱るときにも上司が椅子に座って、部下に立たせながら説教するのでは、体の筋肉が緊張しているのでイライラさせやすくなる。椅子を出してやりなさい簡単なことだ。

 

ただし、礼儀作法を隣人愛や相手を敬うことの美徳として述べているのではなく、考察に基づいた理にかなった対処であるというところが面白く新しいですね。

 

「犬が暖炉のそばであくびをしている。これは猟師たちに気がかりのあることは明日にしなさいと言っているのだ。気取りもせずどんな礼儀もなしに伸びをするあの生命力は見ていても素晴らしいし、引き込まれ真似をしたくなる。周囲の人たちはみんな伸びをし、あくびをしたくなるはずだ。これが寝支度の開始となる。あくびは疲労のしるしではないのだ。あくびはむしろ、お腹に深々と空気を送り込むことによって、注意と論争に専念している精神に暇を出すことである。このような大変革(精神の働きをバッサリ切ること)によって、自然(肉体)は自分が生きていることだけで満足して、考えることには飽き飽きしていることを知らせているのである。

幸福論の”あくびの技術”の始まりの部分より、引用させていただきました。

 

最後に

いかがでしたでしょうか?アランの幸福論には生活の知恵となりうる言葉が溢れています。なるほど、こういう視点で物事をとらえてみるのもおもしろいなとか、色々発見があることでしょう。

最後に、アランの有名な名言でしめたいと思います。

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”楽しいから笑うのではない、笑うから楽しいのだ”

 

参考文献 アラン幸福論/神谷幹夫訳、アラン定義集/神谷幹夫