ジャズはアメリカの音楽というイメージがあると思います。
しかし、最初に動き出したのは芸術の国フランスでした。
フランスはジャズを商業的ではなく芸術的な観点から保存したいと考えたのでしょう。
少し話はそれますがオンド・マルトノという楽器をご存知でしょうか?
モーリス・マルトノという音楽教育者が
科学技術を応用して表現の新たな音のパレットを作りたい
と考案した電子楽器の初期のものです。
イメージとしてはテルミンと鍵盤楽器の融合したようなものなのですが(下図参照)
なんと今でもフランスのパリ国立高等音楽・舞踊学校で学ぶことができるのです。(ちなみにオンドマルトノが初めて制作されたのは1918年)ここからもフランスの新しい芸術に対する寛容な精神を見ることができそますね。
さて、1932年フランスのパリ出身のユーグ・パナシェはジャズの芸術的価値にいち気付き
”Hot Club de France”
というジャズ振興組織を仲間と設立しました。
これに追従するようにアメリカも3年後の1935年に”Hot Club of America”を設立したそうです。アメリカより早いなんて驚きですよね笑
また、その組織の代表でもあるパナシェは
当時、アメリカでジャズがダンスミュージック程度だという商業的な扱いを受け、それによってジャズ本来の価値が落ちてしまうことを危惧しており、そのためジャズ批評をメインとした雑誌を世界に先駆けて出版したのです。
また、本物のジャズをHotと呼びました。彼のいうHotなジャズとはトランペッターのルイ・アームストロングが演奏するようなディキシーランドジャズ、つまり伝統的なジャズでした。
他にも、彼は第二次世界大戦中のナチス占領下のフランスで、敵国アメリカの音楽として聴くことが許されなかったジャズの曲をフランスの古い曲である、として放送しました。
以上の二点を踏まえて
彼はジャズを保存するという意味で多大な貢献をしてきた人物と言えます。
しかし、二次大戦以降ジャズにも大きな変化が起こりました。
アルトサックスのチャーリーパーカーやトランペッターのディジーガレスピーらによるビバップの到来です。彼らはどちらかというと技巧を凝らした複雑な音楽を求めていました。
また、レスターヤングに代表される、いわゆる”クールジャズ”の存在もありました。
これらについてパナシェは常に批判的であり、ジャズの原点に固執し続けました。それによって同組織であるHot Club de Franceは2分されます。ビバップを実験的な試みであると評価するシャルル・ドロネー陣営と
それらをジャズではないというユーグ・パナシェ陣営です。
このフランスにおけるジャズファンの間を分裂をルドウィッチトルネスは『ジャズ戦争』と呼びました。
結局パナシェは1974年に亡くなるまで約40年もの間、ジャズ振興組織の議長としてその生涯を終えました。
新しいジャズを受け入れられなかった彼ですが、ジャズに対する愛は相当なものであったことは説明するまでもないでしょう。こういった人たちの努力や行動はジャズを好きな人なら知っておくと良いかもしれません。
それではまた!